ペルー日記(2001年4月)

4月3日

(実は新学期が始まる早々体調をくずし、1週間近くお腹をこわしていました。
日曜は熱まで出して寝てました。しかもおやしらずが腫れて、抜歯したりで、2日
ほど学校を休ませてもらいました。情けない限りです。
家では、心配しておかゆを作ってくれたり。思わず弱音を吐いた電話に、母が荷物を
特急便で送ってくれました。)

今日、母が送ってくれた荷物を受け取った。中には、ふるさとのお菓子や日本茶、
薬が詰められていて、海を越えて届いた母の想いを強く感じた。

 

以下、母へのメールより

母へ

今日、送ってくれた荷物を取りに行きました。
スタンプを見たところ、26日にはペルーについていたようで、つくづく、ペルー時
間というものを思い知らされました!本当に、仕事がゆっくりというか、急がないん
ですよね。郵便局でも、荷物を受け取るまで、2時間はかかりますから。スーパーの
レジでは、お客さんが並んでいても平気でおしゃべりしているし。悪気が無いのか、
お客さんも、素直に待つんです。。時間の約束をするときも、冗談で、ペルー時間?
それとも日本時間?と聞くくらい、時間どおりということは少ないようです。普段は
それでもあまり、気にしないのですが、まあ、今回ばかりは、ほとほとあきれて、少
し腹をたててしまいたくなりました。
それはさておき、色々な品々、本当にありがとうございます。
歯が痛いとか、熱を出したとか、弱音を吐いてしまった自分が本当に情けなくなりま
した。でも、あの時はどうしようもなくホームシックで、ままどおるが食べたくて仕
方が無かったのです。でも、こうして高いお金をかけてすぐに、薬やお菓子や色々
送ってくれる、母の気持ちを思うと、あふれる思いをとめることができませんでし
た。

本当に、ありがとう。
こんなにおいしい、ティーパックのほうじ茶と、エキソンパイはありません。
もう、大丈夫です。もうおねだりをすることは、ないと思います。
こうして、海を渡って届いたたくさんの、母の強い思いを、しっかりとかみしめてい
ます。
だから、大丈夫です。
歯痛も腹痛も、教科書作りや、学校が始まっての緊張から来たのだと思います。思っ
てた以上に小心者だった自分に改めて気づかされました。子供たちがかわいいと同時
に、何をどう教えたらいいのかと、ものすごく毎日、次の日の授業のことばかり考え
ていて、どうしようどうしようと、悩んでばかりだったのです。
でも、今、心から、ゆっくりいけばいいんだと、思えるようになりました。
教えようとあせるばかり、大切なことを見落としてしまったり、してると思います。
自信なんて、はなからなかったのだし、教師の経験もないのだから、いい授業をしな
くてはなんて、力だけ入れてても、空回りしてしましまうだろうと思います。
なんて、まだ半月しかたってないけれど。。でも少し力をぬいていこうと思ったの
で。
軽い気持ちで来てしまったわけではないけれど、どれだけの思いに支えられてここ
にいるかということを、もう一度ひしひしと、感じました。ほうじ茶を飲みながら泣
けてしまいました。
まだ余裕がなくて、次の日の授業の準備で手一杯になってしまい、みんなにお便りす
ることもずっと、しないでいましたが、いつだって、みんなのことを思い出している
し、たくさんの感謝の気持ちに支えられて、毎日がんばろうという気持ちがわきあが
るのです。
そして、母のためにも、決して危ない目にあったり、体をこわしたりしてはならない
と思っています。慣れてきたころが一番、危ないとも言われますし、自重しながら、
行動していますので、どうぞ心配しないで下さいね。
こちらでは、8日に大統領選挙があります。もしかすると少し、社会情勢が変ること
もあるかもしれません。こういう時だから、よけい、行動に気をつけていかなければ
ならないでしょう。でも、このチャクラ・セロで子供たちと過ごしている分には、何
の心配もありません。本当に、のどかなところですから。
学校の隣は牧場や広い農園になっていて、牛がたくさんいたり、バナナ畑があったり
します。
毎日、夕方4時になると新鮮な絞りたての牛乳を買いに、子供たちや大人たちが、手
にペットボトルなどを持って、近くや遠くからやってきます。私も休みの日に買いに
行きました。1.5Lで50円くらいかな。ヨーグルトも作ってます。おいしいです。
ペルーの市街地に行くと、東京と変らないくらい、人も車もお店も多く、活気にあふ
れて、お洒落な人々、貧しい人々、色んな人々が元気に生きているのを感じます。
でも私は、ノグチ学園のあるこのチャクラ・セロのいなかでよかったなあと思います。
学校へは砂埃の舞うでこぼこ道で、お洒落なサンダルはすぐにこわれてしまいます。
チャクラもセロも畑という意味なんですよ。

東京では桜に雪が舞ったとか、聞きました。本当?きれいでしょうね。
福島はこれからですね。
いい季節がまた、やって来るのですね。私も2年後の春を楽しみにしています。
くれぐれも、体に気をつけて、楽な気持ちで、お過ごしくださいね。
おばあちゃんはお元気ですか。
みんなの健康を祈っています。
ありがとう

4月24日

日本はすっかり、若芽の美しい、すべてのものの萌える季節となっていることと思い
ます。間もなく、3ヶ月が経ちます。月日の流れは止めようもなく早いものですね。
授業が始まってからのこの一月は、夢中で過ぎていってようで、気が付いたら、リマ
に秋風が少し吹きはじめていました。眠れないほど暑かった日々も、今は、夜になる
と肌寒くて、上着なしではいられなくなりました。もっとも、日中、晴れた日はやは
り、やけつく太陽がまだまだ元気に、大地を乾かしています。
この3ヶ月で、たくさんの人に出会い、子供たちに触れ、悩み、挫け、喜び、心躍ら
せ、様々な想いを抱くとともに、念願のアンデスを訪れ、3000年前の遺跡に佇
み、悠久の歴史を垣間見ることも叶い、旅の機会もいくつかありました。
本当に、見るもの聞くものすべてに圧倒されていた始めの頃に比べると、少しずつ慣
れてきてしまった面もあるのですが、表面でわかったつもりにならずに、深く深く、
新鮮な驚きと理解する努力を忘れずに、対象と向き合っていたいと思うこの頃です。

最近、林竹二氏と灰谷健次郎氏の「教えることと学ぶこと」という本を読んでいまし
た。教師であることは、子供たちからいかに学べるか、その姿勢を失わないで保ち続
けることが肝要なのだと、言っています。子供たちの中にある「たから」をいかにみ
つけ、掘り出していけるか。テキストを理解させるのが、型どおりに表面的にわか
る、できる子供だけを育てるのが教師ではないと。
日本語の授業はまた、違う意味があるとは思いますが、でもやはり、日本語を教える
ことによって、何を伝えたいのか。何を学んで欲しいのか。その奥にあるものを持ち
つづけることは、同じだと思いました。

このボランティアに応募したきっかけは、野口英世であり、会津の人々でありまし
た。その縁をつなぐ橋になりたい。そんな思いは、授業が実際に始まると、どこかへ
消えてしまったかに見えていました。
日々の授業の準備に追われ、何をするか、何を教えるか、悩んでばかりの毎日でし
た。
でも、今の自分がそうであるように、言葉を知るということは、伝達する術を、力を
持つということなのだと、今思うようになりました。
言葉を話せないもどかしい日々の中で、新しい単語を覚え使えるようになった喜び。
そういったところから始まり、日本語を教えるという行為を通して、このリマの子供
たちといかに、お互いの宝さがしができるか。
焦らずいこうと思うとともに、時間は限られていること、そして子供たちの成長は私
を遥かにしのいで早い強いものであることを思うと、もっともっとと、自分に何かを
課したくなってしまいます。


ペルー日記