ペルー日記(2002年3月)

3月10日

すっかり更新の遅い日記になってしまいました。

長い休暇も終わり、3月12日から新学期が始まります。

本当に月日のたつのは早いけれど、時はそれだけの重さを持って流れていっている。
そう実感するこの頃です。
新しい年を迎えて、今年何をなすべきか、思い悩んでいました。
会津のことを語らなければ、私がここにいる理由が見つからない、
一時期そのような思いにとらわれて。

でも、今は少し、行き先に光が見えてきた気持ちでいます。

会津の父のよう思っている方からのメールで、力を得ました。

真の目的は、この学園の子供達に、誇りと自信を持ってもらうこと。光ある未来を信
じる力を培ってもらうこと。
そのために、日本人である私が、会津からこの地へお手伝いにきたのでしょう。
日本語の技術を教えるだけではない、
共に自分達の誇りとするものを見つけ、見直していくこと。
これが今年の課題です。

私は自分の生まれた日本も、会津の風土も心から愛しています。
それをまず伝えたい。
そして同じように、ペルーの人々もまた彼らの祖国を愛していると感じます。
それをもっとわかちあいたい。

経済的に今、日本は低迷している。でも不必要なものと本当に必要なものを明確にす
るために迎えてる変革の時期なんだと思っています。
ペルーは日本と比較にならないほど失業率も高く、教育につけない子供達も多い。平
均給与は日本の3分の1にも満たないし、多くの子供達が道端で靴を磨いたり、お菓
子を売ったりして日銭を稼いでいる。
でも、けして感傷的にそれを見ているのではありません。
なぜなら私はそこに、ペルーの底力のようなものを感じるからです。

これからは子供達との対話を中心に授業を進めたいです。
私のことをもっと知ってもらい、生徒達のことももっと、聞かせてもらいたい。
そして、この国に連綿と続いている力をもう一度、一緒に感じたい。
インカ帝国だけでなく、そこに至るまでの各地で開いた豊かな文明や、相互扶助の思
想。この国は今、貧しい人が多いけれど、とても豊かな国だと思います。自然環境、
食料、花開いた文明。どれも日本人始め世界の人を惹き付けます。
テロやデモが日常的に行われていたのも事実です。スリや強盗も後を絶たない。
貧富の差が大きいから、持てない者が持てる者を襲う。
子供たちの元気な瞳と対照的に、路傍の物売る大人たちの表情は暗い。でも、ラテン
の陽気さ、人懐こさ、子供達のストレートな感情表現。それもあわせてもっていま
す。

家でも何でも自分達でぱっぱと建ててしまう器用さ。活気。混沌とした中の力強さ。
日本人にはないたくましさを感じます。
そんな彼らの誇りをわかちあいたいです。

私は野口英世博士よりずっと長くいるのに、言葉もまだ拙いし、一体どれだけ彼らの
力になれたか。友情を結べたか。自分のもてるものを惜しまず差し出せていたか。ま
だまだこれからという気持ちです。

リマは今、毎日暑い日ざしが照り付けています。
あちこちから陽気な音楽が大音量で流れています。子供達は真っ黒に日焼けして、火
曜日から新学期です。
見えないものを形にしていきたい。考える以上に行動したい。私の中にたまったエネ
ルギーもまた、今、発現されることを待っていると信じて。遅い取り掛かりですが、
遅すぎなくてよかった。
幸いなことに、この地でもよき理解者と協力者に恵まれています。
一番は共に暮らしているこの学園の校長先生でしょう。彼女は今、ペルーのほとんど
の人々が野口博士のことを忘れていると言います。一体誰なのかと尋ねられると。で
も彼女の努力は少しずつ実を結び、博士の業績を改めて知る人が増えています。歴史
も言葉も、ある人の生き様や感動を通して心に響いたことは忘れない。子供達にはそ
ういう忘れられないものをたくさん、心の中に培って欲しい。それを私に望んでくれ
ました。

数々の困難にも決して挫けずに、自分の信念を貫き通した博士のように、正しいこと
は何か、自分で考え、勇気を持って生きていける大人に育ってほしい。

そのように校長先生は子供達のことを思って、日本語教育もその一助であって欲しい
と願っています。

私は、結果を怖れずに、今できることに懸命に努力をしたいと思います。
ペルーのために.子供達のために。であったすべてのために。
お互いのよりよい未来のために、できる事を精一杯考えます。
胸を張って会津へ帰れるように。。

これからも見ていてください。


ペルー日記