ペルーにおける野口英世


(野口英世学園刊行:年鑑誌97年度より)
ドクター・ロベルト・シマブクロ(日秘病院ポリクリニコ医師)

野口英世博士のペルーとのつながりの歴史については、あまり知られておら
ず、もっと記憶に留め置くべき事柄であろうことは、次のとおりである。
その当時のペルーにおいて、非常に重要であった国民レベルの健康問題につ
いての研究への、最初の一歩となってくれたのは、他ならぬ博士であるからだ。

天性の研究者である野口英世博士は、1900年、24歳のときに、日本か
らアメリカ合衆国へと渡った。彼はその生涯のすべてを、その当時、全世界的
に主なる死亡原因であった伝染病の謎の解明に、捧げた。彼の伝記の大半は、
1928年、52歳を目前についには彼をアフリカにて死に至らした、黄熱病
の研究に傑出して書かれている。

ペルーにおいては、もっぱらペルーでだけ見られた、カリオン氏病(Enfermedad
de Carrion)という病気があり、それは今なお新たな症状が報告されている。
この病気の名前は、セロデパスコ(Cerro de Pasco)出身の、サンフェルナン
ド・リマ大学医学部(la Facultad de Medicina de San Fernando de Lima)の医学生、
ダニエル・アルシデス・カリオン(Daniel Alcides Carrion)に由来する。
19世紀の半ば頃、その当時オロヤ熱(Fiebre de la Oroya)と呼ばれた病気が、
チョシカの更に奥地で中央鉄道(el ferrocarril central)を建設していた労働者達の
間に、多大な犠牲と惨事をもたらしていた。実際のところ、この病気はその土
地の者たちの間では、1世紀に渡り知られていたが、他所から来た者たちがそ
の病気にかかることにより、その存在をより明らかなものにした。もう一つの
病状も存在し、それはペルーイボ(Verruga Peruana)と呼ばれた。19世紀の半ば
にはペルーの医者達の間で、オロヤ熱とペルーイボは二つの異なる病気である
のか、同じ一つの病気の表れであるのかを論じ合った、大きな論戦が持ち上が
った。カリオンは、それら二つは同じ一つの病気の現れである事を証明しよう
とした。それを実験するために、彼は自分の体にペルーイボの患者のサンプル
を接種したところ、オロヤ熱と呼ばれた病気と類似した痛ましい症状を引き起
こし、1885年10月5日、彼を死へと追いやった。
こうした理由によって、この日を長きに渡り「ペルー医学の日(el Dia de la
Medicina Peruana)」として、毎年、祝日としている。

しかしカリオンの犠牲にも関わらず、多くのものは懐疑的態度のままだった。
1913年に、それらは二つの異なる病気であるという説を主張してペルーに
やって来た、ハーバード大学熱帯医学研究室の研究調査隊ですらそうであった。
論争は、黄熱病の研究のため南米諸国を歴訪した一環として、1920年に野
口英世博士がペルーを訪れた際にも、今だ終わっていなかった。ここにおいて、
カリオン病と彼らの発表とが博士の知るところとなる。
博士は、1926年になるまで、ニューヨークのロックフェラー研究所で、
猿を実験に用いた、その研究にとりかかることができなかった。リマからは、
ペルーの医者たちが患者の血のサンプルを、後にはイボのサンプルを送った。
膨大な数の試みの後、バルトネージャ(Bartonella bacilliformis)と呼ばれた原因と
なる菌の分離と隠滅に成功し、実験的に猿に、それら二つの病状を引き起こす
事に成功した。これによって博士は、二つの病状は、一つの同じ細菌によって
引き起こされるということを実証し、それと共に疑いの余地なく、カリオンの
犠牲によって発表されていた成果は正しかった事を−ほとんど40年もの歳月
の後に−証明してみせた。1926年から1929年にかけて、博士は19も
の論文をこの病気に関連して発表し、それらは、博士があらゆる側面から、い
かに広くこの病気について研究したかを反映していた。

結果、興味深く特筆すべき事は、北アメリカ医学協会誌(la Revista de la
Asociacion Medica Norteamericana)においてその逝去後、捧げられるであろう死
亡記事には、熱帯医学への意義深い野口英世博士の貢献のついては言及されな
いであろうことだ。これは、カリオン氏病が、部分的にエクアドルやコロンビア
でもケースを報告されたことがありながらも、ほとんどペルーに限定された病
気であるからであろう。

生前の博士は、疲れを知らない、根気強い、世界的に有名な科学者であった。
子供の時から片方の手に障害をもつという、肉体的限界にもかかわらず、己に
打ち勝ち、科学者としての輝かしい業績を生き、名誉と勲章をたくさんの国々
から贈られた。これだけでも我々全ての人々が、野口英世博士の業績を偲ぶに
充分であろう、科学に国境はないのだから。
しかし、我々ペルー人にとっては、とりわけ、野口英世の名がこれからもず
っと、ペルーとつながっていく、最も重要な意義がある。忘れてはならない。
野口英世博士は、私達の国自身が抱えていた一つの問題の解明の為に、力をく
れたことを。カリオン病の為に。