11月9日 野口英世生誕記念日に寄せた生徒達の作文


1.「野口英世博士の人生でどの部分に共感を覚えますか?」(要約と抜粋)
?Con que parte de la vida de Hideyo Noguchi te identificas?

アニー・ブラス(中学2年生)

Annie Blas (secundo ano de secundaria)

(野口英世は2歳の時に手を火傷し、自由な指の動きを失い、障害を持つこと
になった上に、彼は背も低く、家は貧しい農家で、肉体的、経済的、社会的に
も不運だったけれども、日々よりよく生きようという強い願いと、小さい頃か
ら勉強熱心になることで、人類の為に生きた偉大な科学者となった。)

私は、野口英世が常に前進を続けたところ、そして数々の困難や級友達のから
かいにもめげずに、幾つもの目標を果たしたところに共感を覚えます。
なぜなら、健康が優れている事、経済的・社会的に恵まれている事、そのよう
なことは常に必要ではなく、本当に大切なのは、進んでいこうという熱意と
日々よりよく生きることだと思うからです。私たちはみんな人生で誰かに成る、
向上していく、同じ能力を持っているからです。

野口英世は今も、私たちの見本となっています。世の中には、肌の色や人種、
肉体的なことや社会的身分などまで、とやかく他の人のことを言う人がたくさ
んいます。でも彼は私たちに、色んなことへの我慢を知ることを教え、外見的
肉体的なことは、日々の中で抜きん出ていくのに重要ではないということを、
その行動を持って示してくれました。

常に逆運の中に生きながら、それにも関わらず、謙虚さと純真さ、そして忍耐
と根気強さを持って、日々存在した困難と逆境に立ち向かった一人の人間。
野口は世界的に有名ですが、特にペルー、そしてアメリカ、デンマーク、フラ
ンス、スイス、イギリス、エクアドル、ブラジル、故国日本などでは、幾多の
勲章を彼に捧げ、多くの研究所で彼の名を、誇りと共に敬意を表して、その亡
き後に掲げています。

ヘレン・ブラス(中学1年生)

Helen Blas (primero de secundaria)

私は、野口英世はとても人道的な人だったと思います。なぜなら、野口英世は
科学への献身によって他とは異なる偉大な科学者であったし、有名な、「人類
の為に生き、人類の為に死す」という言葉を常に思い浮かべるからです。

生涯を医学に捧げ、自分がどんな状況にあろうとも、人類のよりよい繁栄の為
に尽くしました。
野口英世は、私たちもそうすべきであるように、同胞(人間同士)のことをい
つも心配しました。私たち自身も回りの人たちのために、時には自分を犠牲に
しても、何ができるかを考えなくてはならないと思います。
野口英世は、自分の命を危険にさらしても、他の人々が救われるのを望むくら
いに、人類愛に満ちた人でした。
奉仕の精神、他の人のために役立とうとする使命、とてつもなく大きな隣人へ
の愛により、何にも増して人間的な生き方を選び、実行しました。
人に尽くし、世の中の役に立つ人になることを、口で言うだけでなく、行動で、
人はどれだけ人の為に役立てるのかを私たちに示しながら。
野口英世の中に私たちは、人類への献身と犠牲の大きな模範を見ます。

野口英世は世界中でとても慕われました。彼の人生の軌跡から、人を敬う大き
な心と気高さを持った人物であったことが偲ばれます。
彼の努力、献身、粘り強さとがんばり、同時に謙虚さと、先生や級友たちを敬
う心、周りの人々への友情は、とても大きなものでした。
彼の科学への献身はとても若い頃に始まり、人間同士への連帯感は今でも発展
を続けていて、私たちの多くに、知性を伸ばし、感情に振り回されないことを
決意させてくれています。この二つの絡み合った事柄は、よりよい結果を与え
てくれるだろうことを、野口英世は私たちに示しています。
「人類の為に生き、そして死す」このフレーズは、人道的科学的な野口英世の
生き様すべてを言い表していると思います。
彼はよりよい世界のために貢献しました。
私たちは彼の生き方を継がなければならないと思います。科学的、人道的な私
たちの力すべてで世界に貢献しながら生き、この世界が少しずつでも、より人
間的な、一つの世界となるようささやかでも寄与し、神様が仰ったように、一
人一人から一人一人へと、私たちみんな、隣人を愛していけたらと思います。

2.「人生において目標を持つことの大切さとは−野口英世の人生を振り返って」
A la luz de los conocimientos sobre Hideyo Noguchi.
?Cual es la importancia de tener un objetivo en la vida?

カレン・フローレス・カバジェーロ(中学3年生)

Karen Flores Caballero (tercero ano de secundaria)

私の人としての経験はまだ浅いものだけれど、でも私にとっては意義深く大切
な、一人の学生として、娘として、そしてペルー人としての関わりの中で、は
っきりと教えられた事があります。それは、あるものを手に入れるために闘う
ため、つまり私たちが目的あるいは夢と呼ぶもののために、日々私は立ち上が
るのだということです。

とても小さな時から、たゆみない両親の支えと共に、みんな、何かにむかって、
この道を歩き始めます。そのうちに、この道は少しずつ退屈なものになってき
ます、でも、不可能にはならない。私たちは私たち自身のためにこそ、飛び立
たなければならない、そこが、私たちの思い描いた目標の地だからです。

私の場合、この学校のこの学年(中学三年)で勉強していますが、確かに、あ
る一つの目標に出会うことができました。
強調してもいいですが、この目標に導き、確立させるために、私を前に押し出
したのは、私の人生における一つのはっきりした生き方の例です。私や、全て
の物事において前へ進む事を熱望する、たくさんの人々がこう呼ぶ、ある「前
進の模範」です。それは、私の学校そして級友達の間で、とても意味のある大
きな人物、野口英世博士その人です。さらに大切なのは、彼は研究と仕事に対
する献身によって、その命を人類の為に捧げたという事です。

彼が何と闘い、何に立ち向かっていかねばならなかったか、私たちはよく知っ
ています。そして、忍耐と謙虚によって、彼はその目標を達成したのです。
流れに逆らう“鯉”のように闘い、他の人たちのように弱さや欠点を持ちなが
ら、決して打ち負かされはしませんでした。
人生を愛し、それに敬意を表する人たちにとって、目標を持つのはそれぞの一
生において大切な事です。なぜなら、それが意味するのは、理知的だとか勤勉
であるという部分だけでなく、自己実現、つまり、私たち一人一人の満足感や
感動でもあるからです。
そのことに、我が家で気がつきました、血を分けた肉親の絆と深い愛情で結ば
れた人たちを見る時に。このことから次の事も言えると思います。人生の目標
とは、幸福に充ちた一つの家族を作り上げる事でもある、と。私がこのつたな
い年齢の中で学んでいるような、価値あることを家族の中に教え育くみながら。
謙虚さと愛の真価を示す確かな模範として、野口英世博士を心に抱きながら。

私たち、英世学園ファミリーにとって、シンボルとなっているこの人物は、そ
れぞれの欠点を克服する事、決してあきらめないこと、その反対に勇気をもっ
て私たちの目標に到達する事を教えてくれました。

野口英世はその人生を通して、先輩達への尊敬を持つことの大切さ、それによ
ってどれだけのことが学べるかを教えてくれました。先輩達の言葉を聞くこと
を知ることは、私たちが自らの誤りを正すために役立ってくれるはずです。

公明さと熱意を持って、あるよいことをする時、目標は達成されていると言え
るでしょう。壮大な成功は後から訪れます。でも、もし失敗したとしても、私
たちは誤りを認めなくてはならないことにも、気がつかなければなりません。
そして自分達の持っているもの、私たちを取り囲む人たちなどの真価を認めよ
うとすることは、もっと大切です。私たちが無駄にする一日は、直に、どんな
重要さを私たちに対して持っていたのかを、気づかせてくれるからです。

次の事を知ることは大切です。
「目標に至るためには、この道をまっすぐに、正しく、前向きな意識とともに
進まなければならない。その本当の道筋から外れる事は出来ない。」
この道には、たくさんの不運な状況もやってくるでしょう、でもそれに立ち向
かっていく事を覚えなくてはなりません。
この、私が言うところの、こんなにも大切な“道”とは、“人生”の事です。
どのように生きるか、あるいは操縦していくかは、一人一人が決めます。
よい方の道へ進むのか、悪い方へ進むのか。そこに目標を持つことの重要さが
あります。そして、もし目標を果たしたいのなら、すべてを乗り越えて、それ
へ至ることだ、そう私たちは言われています。

また次の事も知りました。人生で目標を持つことにより、人は決意と確かな意
思を持つことができます。その確固とした思いは、私たちに人としての誇りを
もたせるような、様々な有益な振る舞いの中に活用する事ができ、次のことに
気づかせてくれます。「人生で大切なのは、たどり着いた場所ではない、私た
ちがどこへ行こうとしているか、動いたその方向である」

野口英世と同じように、私たちも目標を、志を立てなければならない、そして
手に入れたいものを、つねに心に思い描き続けなくてはならない。
そして勝利をおさめたときには、とても大きな満足感と、深い自尊心を感じる
でしょう。私たちは目標に、心に決めたことのすべてに、たどり着く事ができ
るのだ、ということを知ることによって。

でもこのような考えはすべて、心の中のことです。そして心とは一枚の真っ白
な布のようなものです。きれいで純粋なままに保つのも、否定的な考えで染め
てしまうのも、私たち次第なのです。できることなら、食卓に敷かれるような
真っ白な布でありたいと、私たちは心に決めます。

この人生という道は様々な機会で充ちています。もし本当に人生で成功をおさ
めたいのなら、それを手に入れるため最後まで努力するはずです。
とても確かなことがあります。
「決して、誰かが私たちに与えてくれようとしている助けの手を拒絶してはい
けません。なぜなら、私たちは、いつだってそれを必要としているからです」
志を果たす事に心を傾ける人において、それは証明されるでしょう。

ペルーは私たちの大きな働きを待っています。今、学生の一人一人がそれぞれ
に目標を持ち、将来それを果たし、この国の発展に寄与する事を待っている、
そのように私には思えます。もし私たちの誰かが、神様やイエスのような存在
になる、そんな目標を持ったなら、もっともっとうれしいでしょうけれど。
つまりはこう言いたいのです。正直で、団結心があって、何にも増して謙虚で、
よい人になることを目標の一つに思い描きませんか、と。

この最後の価値、謙虚であることは、野口博士の中にたくさん反映されていま
す、その上、私の人となりにも大きな衝撃を与えました。私は思います、彼の
ように、私たちの目標を構想したい、つねに、素直さと謙虚さを忘れないで。

もうはっきりしていますね、人生で目標を持つことが大切なのは。私たちを精
神的、理念的、知的にも自己実現させてくれます。こうとも言えます。
私たちが、自分たちの成した仕事に心からの喜びを覚える時、目標は達成され
ているのだ、と。
もし私みたいな、こんな人たちがいたら、伝えたい。
打ち克とう、前へ進もう、決してあきらめまいという熱意を持っている全ての
人たち、そしてある模範を必要としている人たち、それなら野口英世博士がい
ます。私にとっては、つねに、真に尊敬に値する一人の人物として、格別に影
響をうけている方です。

決して口にしてはならない言葉があります、それは「できない」という言葉。
人生には様々な状況が存在するけれど、それを生かすも活かさないも私たちの
行動次第だからです。

最後に、逆境に打ち勝ちながら「人類のために生き、そして死す」、そのよう
に価値ある宝物を私たちに残してくれた野口博士に、心から感謝を伝えたいで
す。たくさんの人々が、ただ道を進むだけでなく、人生で成し遂げようと決め
たことに到達することを、願っているであろう事を、私はうけあいます。
また、私にはとても大事だと思えるこのことを付け加えておきたいのですが、
小さい頃から両親に言われ教えられてきたことがあります。
「人生は砂漠のようなもので、みんな、道の最後にはオアシスにたどり着こう
と欲している。そこに行こうと必死だ。そして近くまで来るとそれは蜃気楼に
過ぎなかったことを知る。すぐにまた別のオアシスを見る、今度こそは本物で
あるようにと願いながら、そこへたどり着こうとする。」
それでは、オアシスの水を“幸せ”と置き換えてみましょう。私たちは単純に
それを間違えた場所で探しているか、あるいは受け入れたくない、ある過ちを
犯しているのです。
私たちは目標に達するためには、それらの事柄から学ばなければなりません、
いつの日か勝利をおさめるためには。

「野口英世についての作文」
"COMPOSICIO'N DE HIDEYO NOGUCHI"

ナタリア・トング・オチョア (中学3年生)

NATALIA TONG OCHOA (Tercero de Secundaria)

人生で、目標を持つことはとても大切です。人にはそれぞれたどり着く目的
地があり、そして一人一人が、そこにたどり着くための方法を探しています。
目的地に到達するのはとても難しいことです。道を進むにつれて幾度も出会う、
弱さ、つまづき、過ち、苦しみ、etc。そのような中で、あの有名な野口英世博
士は、自分自身の努力によって、貧しさにも関わらず、前へ進み、目標に到達
する事ができました。

目的を持つ中で最も大切なのは、歩むその道、そして私達の目的地に向かって、
どのように歩き続けていくかです。一歩ずつ自分達の過ちから学びながら、前
進し、自らが一生懸命描いた何かをつかむために苦しみながら、行くその道。
望んだ目標にはたどり着かなければならない。その戦いは困難であり、いつで
も倒れ得ることに気づかなければならないけれど、でも、それぞれの挫折は、
私達が勝利に向かって階段を一段、登っている事の証です。そのようにして一
段、一段と登りながら、目標へとたどり着くのでしょう。

私達は、野口がしたことのような、本当に価値ある事の中から学ぶべきです。
子供達は前進したいのに経済的資力がないためにそれができない、そのような
国から、この国が経済を引き上げながら発展していけるように、私たちは進ん
で行かなくてはなりません。もしこの国を発展させ、私たちすべての目標とす
るところに辿り着きたいと願うのなら、両親が私たちに与えてくれたものすべ
てを、最大限に活用し、勤勉と努力を怠ってはならないと思います。

今がその時です。与えられたものを最大に活かし、それぞれの機会ごとに、新
しい事を経験するために目標を構想しながら、その道の行く手にあらわれる逆
境と戦い、そして家族をつくり、共に前へ進んでいく。

野口英世は貧しい環境の中で育ちました。でも、そのような恵まれない状況の
中でも、努力と両親の助けによって、世に現れる大きな人となりました。英世
には勇気を持って越えなければならない幾つもの場面がありましたが、ついに
は、彼の目標を果たし、成功を勝ち取り、有名な科学者となり、懸命な努力と
研究によって黄熱病の治療法を私達に示してくれました。この治療法のおかげ
で、たくさんの命が救われました。その時代、この病気はとても深刻なもので、
たくさんの人が苦しみながら亡くなっていきました。彼はその原因を解明し、
治療法を多くの国々へもたらしたいと考えました、それはブラジル、メキシコ、
エクアドル、ペルーそしてアフリカ大陸へです。その最後であるアフリカで、
やはり野口博士は人々の命を救いたいと願いました、しかし彼の治療法は、こ
の地では効果をもたらさなかったのです。なぜならアフリカ大陸におけるこの
病気は、より強いものだったからです。野口英世はこの病気に感染し、亡くな
りました、でも、彼は人類のために非常に大きな働きを為しました。

博士を特徴づける、つねに前へ進もうとする力を与え続けたこの勇気と価値に
よって、野口英世は今なお私達にとって大きな模範となっています。後に続く
べき例であり、また彼のおかげでたくさんのことが成功し、今日でも敬意と誇
りをもって称賛されています。

今、彼の名をつぐ私たち英世学園の生徒は、このように博士を身近に持てるこ
とを、とても誇りに思っています。いつでも、どんな時にも、私たちは、彼が
持っていたすべての価値、私たちみんなが引き継いでいかなければならないも
の、それらをつねに思い出しています。
だから、今、たくさんの感謝と共にこう言えるのです、
「ありがとう、野口英世博士、あなたはいつだって私たちの中にいます。」

3.「野口英世博士とダニエル・カリオンの関連性とは?」
?La relacion entre Hideyo Noguchi y Daniel Alcides Carrion?

セッ・ピノ(中学5年生)

Seth Pinog (5to de secundaria)

野口英世の伝記
BIOGRAFIA DE HIDEYO NOGUCHI

野口英世は科学への献身によって顕著な偉大なる科学者であった。人類の為
に生き、人類の為に死した。1976年11月9日、日本の福島県にある猪苗
代町で生まれ、1928年5月21日、アフリカのガーナで、黄熱病の研究の
半ばで亡くなった。

科学に捧げられた彼の52年の人生、貧しかったノグチは自分自身で学業し
た。2歳のときに左手を火傷し、それは彼の手を奇形にしただけでなく、その
指の自由な動きさえも奪い去った。このように、肉体的にも、経済的にも社会<
的にも不運な中で、もっとも悲惨な状況の下から、自らの強い願いと、決意と
勤勉と熱心さによって、人類への慈善に富んだ道を拓きながら、上りつめてい
ったのだった。科学の分野で偉大だっただけでなく、自分の専門分野に関して
と、国への忠誠において、自分を捧げるような献身の例を生きて我々に見せた。

彼の名前は、もとは「せいさく」だったのを、「ひでよ」と変えた、「ひで
(英)」とは「優れた、あるいは抜きん出た」という意味で、「よ(世)」は
世界を意味する。

小さいときから、幼い友達のあざけりやひやかしに直面しなくてはならなか
っが、彼は気にせず、学校の成績はすばらしく、小学校を卒業する頃には、試
験の監督に来ていた、猪苗代の上級小学校の教師、小林栄先生に、その評判と
真価を認められ、小林栄先生は、ノグチが学問を続けられるためのすべての保
護と補助とを与えた、まるで自分自身の子へ対するように。

ノグチはたくさんの名声と共に卒業した。英語、ドイツ語、フランス語、ス
ペイン語、イタリア語そしてデンマーク語を覚えた。彼の科学者人生の大半を、
ロックフェラー研究所の一員として、アメリカ合衆国で過ごし、中国、英国、
フランス、ドイツ、オーストリア、デンマーク、スイス、ノルウェー、メキシ
コ、ブラジル、エクアドル、そしてペルーを訪れた。

1920年ペルーへ来訪、サンマルコス大学の医学校の名誉教授としての勲
章を授けられる。1926年、ペルー人ダニエル・カリオンによって研究され
たところの、オロヤ熱の原因を解明。
ノグチは全部で196もの科学的な研究を発表し、たくさんの勲章を授かっ
た、日本では朝日新聞の調査で第2位になるほどの著名な人物だった。

エクアドルではノグチのブロンズの銅像があるほかに、ノグチという名の村
があり(Chamdoiの手前)、グアヤキルにはノグチ通りがある。ノグチの名に
敬意を表したモニュメントが日本、ニューヨーク、アフリカのアクラなど各地
にあり、それらノグチが名高い科学者として生きた場所ではそれらを歴史的モ
ニュメントとみなされている。

ダニエル・アルシデス・カリオンの伝記
BIOGRAFIA DANIEL ALCIDES CARRION

1857年8月13日、ペルーにおける医学の殉教者、ダニエル・アルシデ
ス・カリオンはセロ・デ・パスコという町に生まれた。
彼の両親は、父親はエクアドル人の医者Baltazar Carrion、婦人はセロ・デ・
パスコ生まれのDolores Garcia 。

パスコでの彼の最初の学業を終えた後、リマの中学(国立グゥアダルーペ学
園:el colegio nacional de nuestra senora de Guadalupe)で勉強を続けた。セン・
フェルナンド大学の医学部に入学した後、同朋同志の戦いであるチリとの戦争
が進行する中で、彼の学問を完全なものとするべく勉強を続けた。
大学のたくさんの同級生達と共にカリオンは、サンフアン・デ・ミラフロー
レスの平原で繰り広げられた、チリの侵略群との戦いに参加した。

数年後の1884年、オロヤである奇妙な熱病が起こり、鉄道を作っていた
たくさんの人々の命を奪った、そのひどい病気は「オロヤ熱」と呼ばれた。

カリオンは、病理学の世界ではまったく知られていなかったこの奇妙な病気
が気にかかり、ためらうことなく、ドス・デ・マヨ病院において、ペルーイボ
患者の血を自分に接種し、己の体を実験に用いて、このひどい病気の症状を見
ようとした。臨床につきながら彼の器官に起こる症状の詳細を記録し、殉教者
への道を歩んだのだった。
このようにして、感嘆すべき精神的ながんばりをもって、彼の体が貧血で衰
弱し、高熱が彼の命の灯を消すまで、彼の自己観察は続けられた。
最後の束の間の時、自分の体の反応を記すにはあまりに弱ってしまったのを
感じ、彼の同僚達に、書き込み記録を続けるように願い求めた。こう言いなが
ら、「さあ今度はあなたたちが、この始まった仕事を終わらせてください」。
ダニエル・アルシデス・カリオンは、Maison de Sante にて、1885年10
月5日、医学に敬意を表した彼の犠牲を、一つの尊い例として後の世代へと伝
えながら、息を引き取った。

私達の歴史はこのように、とりわけ注目に値し記憶にとどめられるにふさわ
しい、英雄達で充ちている。その中の一人が、自分の志を果たしながら、科学
への敬意と人類の為にその身を捧げた医学生ダニエル・カリオンなのである。

よく知られているように、この時代、山岳部の奥地に入り込み、オロヤで終
わるであろう鉄道の建設が実行されていた、そしてその作業の中で、工員達た
ちが、高熱と貧血に苦しむ患者達をたちどころに死においやる重大な或る病気
のえじきとなっていた。
最初の患者たちがその地区の病院に担ぎ込まれるとすぐに、当時あまり知ら
れていなかったこの病気と闘うために、我らが科学従事者達は、当然な心配を
募らせていた。このようにして臨床学的にも科学的にも、医療に関して、およ
び日々我らが労働者達の命を奪い行くこの病気の、本当の病原をめぐる議論が
始まった。討議において、或る人々は、その貧血症の熱病とペルーイボは、こ
の病気が起こった地方原産の、同じ病気であるという意見をとり、他の人々は、
ここの労働者につきものの病気であるという意見を支持し、死亡率は相当な数
に登り続け、その時代にこう言われるまでになった、「死んだ者の数は、建設
中の鉄道の盛り土に置いた、枕木の数と同じだ」。

 野口英世博士とダニエル・カリオンのつながりとは、二人とも人類の為に
働き、ある科学者達が一つの同じ病気であると主張した、オロヤ熱とペルーイ
ボの病気の解明のために、このようにそれぞれの人生を捧げたところにある。

4.「野口英世 彼の成した仕事の真の意味とは」
Hideyo Noguchi "El merito real de su trabajo"

ナディア・レケホ(中学5年生)

Nadia Requejo.A. (quinto ano de secundaria)

野口英世は、人として生きることの興味深さを示してくれた一人の人間です。
痛みをもたらした数々の事柄、障害による苦しみ、それらすべて、彼の人生に
見なくてはならないものだったと言えるのではないでしょうか。

よく知られているように、彼は、数々の実験と、疲れや退屈(おそらく彼の心
の中には表れたことないであろう感情たち)に負けることを許さぬ粘り強いが
んばりによって、大きな発見を成し遂げました。これにより、たくさんの人々
が恐ろしい病気の危険から免れた人生を送ることができました。

野口英世はたくさんの言語を覚えました。それによって、ずっと探し求めてい
た科学的な事柄を知るためのたくさんの扉が開かれました。とても小さな頃か
ら心に描いてきたいくつもの目標を果たしました。学校の勉強ではとても進ん
だ生徒で、よく出来た息子で、人類の英雄となりました。でも、彼の業績の真
に見るべき価値はどこにあるのでしょう?

他の人の助けをうけずに、自らのものすごい努力によって成された仕事は、す
ばらしい仕事です。それは私たちすべてにとっても力となり、私たちの最も大
切な部分、各々の心の中に刻まれているのを感じます。それを彼の様々の研究
によって示してくれたのが野口英世博士です。

一つの仕事における真の業績とは、人々の賛同、それに関して社会的にどのよ
うに受け入れられるかにあります。
彼が為した仕事の真価は、どんな犠牲を払っても(健康面や感情面で)社会の
繁栄を強く望んでいたところにあります。自らの言葉に誓い、宣言しながら、
使命を果たしたところです。もしそれが成されなかったら、目的を果たすこと
なく帰還する事は恥ずかしく思ったでしょう。

彼の真価は決してあきらめなかったことです。自分の貧しさの事など忘れ、知
的能力に専念し、それによって成功に導かれました。もちろん、その成功は彼
を心から信じ、助力を惜しまなかった人々の助けがあってのことでもあります。

彼の偉大さは自分を信じきるところにありました。何を志し、どこへ向かうの
かをはっきりと心に描き、自分自身のことは忘れ、人として避けることが出来
ないよもやまの事をわきにおき、研究に専念するため、到達しようとしたすべ
てにおいて第一人者となるために、打ち進みました。そして誰よりも高い志か
らそれを考えました。こう言っていいでしょう、彼は完全なる殉教者の一群に
加えられる人物であると。つまり人々の為に犠牲となり、世の人々の事を思う
心を持つ、そのような人物。その心は美学といっていいほど美しい。

彼は最も大切なことに専念するために、表面的な事柄はすべて横に置きました。
それは今日、以前にも増して評価すべきことであると思われます。それは勉強
の好機です。野口博士にとっては、たぶん、小さな頃から多くを与えられなか
ったことが、成長していく上でやる気を起こす動機に変わり、否定や妨げにな
ることはなく、少なくとも経済的な状況の為につまずくことはなかったのです。

成功をおさめ、ふるさとへ、偉大な医者と称えられながら戻ること、その誓い
を心に保ち続けました。それによって彼には行かねばならないたくさんの道が
あることを思い、より複雑で困難な病気に向かうために、最も遠く離れた地に
行くほどに、その思いは止まりませんでした。それらの病気への関心は、日毎
に増し続け、そうすると研究を続けること以外はできなくなりました。

彼は再び仕事へ、研究へ、没頭するようになりました。このような精神性は高
い評価に値し、多くの人々はそれを必要とし熱望していますけれど、野口博士
が為したように、大切な事にだけ心を傾ける事ができるのは、本当にごく少数
の人のみです。

このような科学への献身に充ちたふるまいは、本当に価値あることです。私た
ちはそれを見ながら次のことを知ります。「野口博士は、自分の使命あるいは
天職にその身を捧げた、本当に稀少な人物の一人である。とりわけ彼の場合は
心静かで、無口で、でも決して降参する事はなく、他の人をそしる事もなく、
彼らの側で彼らの役に立つ事に心を砕き、どんな犠牲を払っても自分の道を進
むために志を掲げ続けた、そんな数少ない人物」

彼の研究が終わりに近づいたところで、黄熱病をもたらすウイルスを発見でき
なかったために、彼はそれらの研究がまだ完全ではない事に思い至りました。
一人の医者として、アフリカでの最後の日々、その病気に苦しまされる事を避
けることは出来ませんでした。

その治療法を見つけるために取り組んだ病気によって亡くなる事は、一人の真
実の医者として価値あることです。繰り返しになるけれど、このことが、献身
というものを私たちに教え、この献身こそ、その成功における真価なのです。
『野口英世博士、成功への真価』。